sumika『ソーダ』の今までにない歌詞解釈!!

こんにちくちびる👄

似ているキャラクターはおでんくん

ジョーです!

今回はsumikaの『ソーダ』の歌詞解釈をします!

sumikaのギターボーカルであり、『ソーダ』の作詞作曲も行っている片岡健太は、MCも独特なんですよね。1度観に行ったことがあります。

さっそく、MVをご覧ください!

 

それでは歌詞を見ていきます。この『ソーダ』の歌詞は、ソーダに関連する言葉がこれでもかというほど出てくるので、その部分は赤字で示していきます。

 


けむくじゃらが風鈴の音を聞いて
気持ちよさそうに眠ってる
その横で僕もまた寝そべって
渇いた喉鳴らしてる

まず「けむくじゃら」というのは「渇いた喉」ということからも推測できるように、猫だと思われます。そして「渇いた喉」というのは、「ソーダを飲む前」=「『ソーダ』を聴き始めた」という方程式を成り立たせます。

二人と一匹のストーリーには岩井俊二作品くらいの彩りは無く
開始1年で見るも無残に気が抜けちゃって

「二人と一匹のストーリー」から、恋愛関係の二人が「けむくじゃら」と一緒に過ごしていたことがうかがえます。またまた登場しました、岩井俊二。以前紹介したAimerの『蝶々結び』のMVを撮影した映画監督です。岩井俊二は青春映画をとることで有名で、僕が映画サークルの新歓に行った際、岩井俊二が好きと言ったら笑われました😅

そしてソーダの空気が抜けるように、二人の生活も「気が抜けちゃっ」たのです。

夏の魔法みたいに弾けて消えた
君の残骸は寝そべっている
そこのけむくじゃら

二人の生活は炭酸が弾けるように「弾けて消え」てしまいました。

ソーダ、泣いちゃいそうだ
君を思い出せばしずくが飛び散りそうだ
ソーダ
あの日の思いが
シュワシュワ音を立て空虚な音で響いたよ
ソーダ
シュワシュワっと不健康な音で

ここはソーダの関連表現のオンパレードです。ソーダ」と「そうだ」の音もかかっていますね。

ソーダの表現とともに、「君」への未練を歌っています。

二人と一匹のストーリーには
取り立ててトピックスもなく
派手な喧嘩もすることもなくお金や浮気でも揉めず ye-ye-yeah
今になって思い出せば
なんでちゃんとぶつからなかったんだろう?
って心痛めつける日もあるが
その痛みすらガスのよう

ここから、また後悔が続きます。

喧嘩もせずに、ちゃんとぶつからなかったのが、ソーダの炭酸の空虚感と重なり、胸の痛みすら「ガスのよう」なのです。

ふわって世界に馴染む 色のついてない
僕達が吐き出したガスは無色透明だった

ソーダのように「色のついていない」起伏のない二人の生活は、面白みのない生活、無色透明な生活だったわけです。もちろん「僕達が吐き出したガス」というのは二酸化炭素で、ソーダの炭酸も二酸化炭素ですね。

ソーダ
泣いちゃいそうだ
君を思い出せるヒントもみつからないんだ
スロウダウン
あの日の思いが
シュワシュワ音を立て空虚な音で響いたよ

ソーダ」と「スロウダウン」の音が見事にかかっていますね。ここでのslow downの意味はおそらく低迷で、二人の関係が低迷していることを表しています。

吐き出すモノすらない
僕ら最早ただの砂糖水に成り下がって
そんなの美味しいわけもなく

どうせなら色ついて匂いもして
もう迷惑だなって時々そのシミみたいなものを
見返して僕は何度思い出して
君を嫌いになって
嫌いになって
嫌いになって
ってもう
なれるわけもないけど

ガスを吐き出してしまってまるで「砂糖水」のようになってしまった空虚な二人の関係。そうではなくて、言いたいことを言い合って、喧嘩もして、そんな「色もついて匂いも」するような関係を望んでいて、そんな「シミみたいな」関係性を嫌いになろうとしてもなれるわけもないのです。

ソーダ
僕らのストーリー
色もなければ匂いもしなかったストーリー
ソーダ
どうせならそうだ
けむくじゃら担いで
もう一回だけ
弾けるソーダ

「色もなければ匂いもしなかった」空虚な二人のストーリーですが、もう一回だけ「弾けたい」、やり直したいという思いが表れています。

ソーダ
僕の思いは
色味がある甘ったるくて
醜いソーダ
ソーダ
君への思いが
ガスが口から出るアレに
似てるよソーダ
そうだ
気が抜ける前に僕は行くよ

ガスが口から出るアレに似てるよ

これは思いをゲップに例えた表現ですが、ここでの歌詞の意味は「ゲップ」と表現しない点にあります。

「ゲップ」と表現しないことで「ゲップ」の汚いイメージを使わなくてすむという点もありますが、ここで重要なのは「異化」作用です。

前の記事で紹介したAimerの「蝶々結び」ではこの作用が多分に使用されているので、詳しくはそちらを参考していただきたいのですが、この「異化」作用というのは、「石を石らしくする」用法です。

石を石と言ってしまえばそれまでですが、石を石と言わずに例えば「輪郭がゴツゴツと歪んでいて、表面がザラついた河原にある灰色の物体」と表現すると、石の新たな表面が見えくるのです。つまり「ゲップ」を「ゲップ」と言わずに「ガスが口から出るアレ」と表現することによって「ゲップ」の新たな表面が見えてくるのです。

この「異化」は芸術においてとても大事な作用であり、リンゴが何人もの作家に描かれている理由は、作家それぞれによって、描くリンゴから見えてくる表情が違うからなのです。

けむくじゃらを担ぐ僕は
君の家の前に辿り着き
乾いてた喉を潤すように
今、ベルを鳴らした

この最後の「乾いていた喉」は最初にも「乾いた喉」という表現で出てきていて、最後にはそれを潤すように彼女のもとへと向かうのです。

 

構造的にいくつもソーダの表現が使われたこの『ソーダ』ですが、ここまで短い歌の中でこれほど何度も使ってしまうと、作者が何だかここまでこだわったのわかってー!!というように聞こえて安っぽくなってしまいます。

もうちょっと分かりにくくしたほうが良かったかなぁという感じ。

それでも、構造的に比喩を使っている点は巧みだと思います。

 

それでは今日はここまで。

みなさん、さよならリップ💋